2012年3月4日日曜日

左手の幻想

有美の姉は小さいとき、ご飯をこぼして、散らかして食べてよく怒られていたそうだ。それに比べて有美は落とさずに綺麗に食べていたという。二人は眼が大きい。あの色白で美しい有美の姉が昔はそんなだったとは信じられない。好きなようにしてた方がいいんだな、と有美はいっていた。自分で気づいてアジャストするから。自分で頭打って気がつくのね。いつどこで頭を打つかが問題なんだけど。
お椀に手を添えず、怒られたとき、左手ない、と言っていた有美の姉。同じ言葉を今僕の娘がいっている。見て、と両手でお椀を持つ様子を見せる娘。よかったね、つき。パパはつきの腕がなくなったらどうしようかと思ったよ。かいなから肘、下腕、掌をさする。手の不在。ビーナスを思いだす。

追記

手の不在について何か、最近考えたことがあったが思い出せない。ああ、思い出した。日本の漫画で感情的になったとき、handがなくなることがあるという研究論文についてオランダの学者からイギリスで聞いたことだ。あれはhandであってarmではない。

私の四肢に関する妄想はやや異常なものがある。

フランスからポーランドにいく空港の待合室で子供たちが遊んでいる。一人の小さな女の子の肘から下がない。追いかけっこをしているのだが、その子は小さくて追いつけない。なのにすごく楽しそうの笑っている。回りの子は少し気づかっている。その子だけは嬌声を上げて楽しそうに追いかけている。体のバランスを取りながら、崩しながら。

戦乱地域で失ったのかもしれない。現実の残酷な牙が、蹄が、clawが pawが残した傷痕。


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